卒業生

DASH卒業生

井上 舞さん(旧姓中村)

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生まれ:1986年
選手コース在籍年数:9年
小4〜高3

中学
三条市立第一中学校
高校
新潟県立三条高校
大学
横浜市立大学

聞きたい(選手編)

  • どんな選手でしたか?

持久力がなくて、練習より大会が好きでした。
冬の泳ぎこみのときは、辛くて辛くて。でも限界に挑戦してる感じの耐乳酸メニューは好きでした!
キックは男子と競う並みの脚力で、プルが激弱の絶妙なバランスで泳いでました!

  • 目標はありましたか?

全国大会出場!
同期の男子メンバーみたく、女子からもJO、全国大会へ行きたいと目標にしていました。
結果は北信越まででしたが、高校の2年間のブランクを最後で更新できたので、悔いのない水泳人生でした!

  • 選手コースで学んだことはなんですか?

たくさんありますが、
『努力は報われるとは限らない。でも決して無駄にはならない。』という言葉。

恩師の桑原コーチ(現社長)の言葉です。この言葉は、ダッシュを卒業しても心に強く残っています。
努力すれば必ず報われるほど社会やスポーツの世界は甘くないと思います。
でも、いま目標に向かって頑張っていることや、そこから得たものは決して無駄にはならないことを学びました。
タイムが出ずにもがき悩んだこと、文泳両道するために限られた時間の中でたくさん工夫をしたこと。頑張っているチームメイトの背中から刺激をもらい自分自身も頑張れたこと。
モノの価値観や考え方など、家族以外にこんなにも深く関わる場があって、ダッシュで学んだこと全てが私の宝物です。

聞きたい(職業編)

  • 今の職業に就こうと思ったきっかけは?

株式会社 資生堂
営業
『日本のモノづくり、美意識を多くの人に伝えたい。多様な価値観がある人と接してみたい。』
学生の頃にいった海外旅行で、改めて日本の素晴らしさを感じ、日本生まれの企業に就職しようと思いました。
化粧品がもともと大好きというわけでなく、総合職はたくさん部門を経験できて面白そうと感じたのが正直なきっかけです。

辛いこと、悩むことは何ですか?
短期的、長期的課題に対してあるべき姿・目標を描きアプローチしても、満足できる結果が出せないときです。
「仮説がそもそも違うのか?」
「アプローチが不足しているのか?」
いくら考えても答えがわからないときは辛いし、ずっと考えてしまいます。
今は仕事の悩みが中心ですが、学生の頃も事柄は違えど同様の理由で悩んだことがありました。

  • 大きな失敗はありますか?

たくさんあります。
入社2年目の頃、私は営業としてチームをまとめなければいけないのですが、チームメンバーが得意先からクレームをもらいがちで苦労しました。
チームメンバーは年齢も私より20年以上年上で、私は「普通に考えればわかると思う亅ことも、伝え方が悪かったのかメンバーのモチベーションを下げてしまったことがあります。

  • その失敗からどのように今に至りますか?

『相手を変えることはできないが、自分を変えることはできる。』ことを学びました。
当時は、どうしたら良いのかわからず、よく家で泣いていましたが、それは私の職業観で物事を伝えていたからだと思いました。
会社には色々な職業観の人がいて、生い立ちも違います。さらに、相手の価値観は並大抵のことでは変えられません。
そこに気づいてからは、
「この人の価値観はどこに重きを置いているのかな」
「この人は何を私に求めているのかな」と相手を受け止めながらコミュニケーションをとるようになりました。

  • 最後に一言

私の学生時代は、ダッシュとともにありました。
ただの部活とは違う深い関わりが出来たのも、桑原コーチのもとダッシュだったからだと思います。
今も帰省する度にダッシュには顔を出していますが、
ダッシュは私が育った場所であり、私の青春に帰る場所です。
これからもOBOG含め、ダッシュ魂が受け継がれることを祈っています!

DASH卒業生

須田 雄介さん

須田さん
1987年生まれ(現在28歳)

1999年~2005年にダッシュ三条校選手コースに7年在籍
(小6~高3)

分水中学校
三条高校
東京理科大学理工学部数学科

聞きたい(選手編)

  • どんな選手でしたか?

精神的に弱く、練習も弱かったです。女子の後ろを泳ぐこともしばしば…。
でも、ベストタイムを毎年更新できていたので泳ぐことがとても楽しかったのを覚えています。

  • 目標はありましたか?

北信越大会出場と、ダッシュのメドレーリレーでJO出場を目標にしていました。JOには自分のタイムが遅くて行けませんでしたが、北信越大会にはリレーと個人の両方で出場できました。ダッシュの仲間の中で見ると些細な目標でしたが、県大会決勝で8位入賞できたとき、仲間や家族が喜んでいる姿を見て、心から嬉しかったです。

  • 選手コースで学んだことは何ですか?

『言うは易し、行うは難し』で表されるように、毎日努力を継続することの大切さを学びました。結果を大切にしながらも、仲間と一緒に泳ぎ続けた日々は何にも代えがたい時間であり、今も心の支えとなっています。
また、当時選手コースの指導をして下さった桑原進コーチの言葉で、『個人は足し算、チームはかけ算』という言葉をよく覚えています。他にもたくさん言われた言葉はあるのですが、チームで練習することの意味や仲間とともに努力することの大切さに気付かされた一言です。今では、私が一教員として水泳部顧問になっていますので、生徒たちに『なぜチームとして頑張るのか』を、桑原コーチの受け売りに自分なりの考えを加えて指導しています。

聞きたい(職業編)

  • 今の職業を目指そうと思ったきっかけ

【高校教員(都立高校)】
私が卒業してきた学校とそこにいた仲間、先生方との巡り合わせが素晴らしく、楽しくない学校生活は全くありませんでした。なので、自然と教員になりたいと思うようになり、その中で高校教員ならば、水泳部顧問として水泳の指導も出来ると思い、目指しました。やはり、桑原コーチの影響も大きく、何かしらの指導者になることに憧れたのだと思います。また、地元新潟で教員にならなかったのは、『人生一度しかないのだから、住んだことのない場所で、知り合いが誰もいない環境で挑戦したい。』という気持ちがありました。現在は水泳部顧問としてだけでなく、東京都高等学校体育連盟水泳専門部に所属し、高等学校の大会運営にも携わっています。選手コース時代に憧れた辰巳のプールで青ポロシャツを着て役員もしているのが、何だか不思議な感じです。

  • 辛いこと、悩むことは何ですか?

生徒たちと接する中で、誰に対しても上手くいく指導法などなく、授業や部活のすべてで悩み続けています。ある生徒にはわかりやすくても、別の生徒は全く理解できていない…このような状況はいつものことで、私が考えるのを止めてしまったら生徒の成長も止めてしまいます。たった3年間しかない高校生活を、少しでも実りある物にすべく、研鑽を積んでいます。部活の具体例でいうと、クラブチームのような恵まれた施設はなく、ほとんどの都立高校はプールが屋外にあり、冬場はどこかの施設を借りなければ泳げません。そういった環境に対するフォローや、陸上トレーニングの充実にも頭を悩ませています。

  • 大きな失敗はありますか?

教員1年目の5月に、当時の勤務校で、出会って1ヶ月も経っていない水泳部の生徒と全面衝突しました。正直、田舎者の私にとって東京の高校生はカルチャーショックの連続で、理解不能なことばかりでした。

  • その失敗からどのような今に至りますか?

当時の私は大学を出たばかりで右も左もわからず、ひたすらに生徒のことを頭ごなしに指導してばかりでした。しかし、このままでは何も変わらないと思い、生徒の言葉を時間をかけてきちんと聞くように心掛けました。すると、生徒たちも少しずつ私に考えや気持ちを話してくれるようになり、次第にそれぞれの想いを共有できるようになりました。最終的には卒業式で、私と衝突した過去から学んだことや、そのことも含めて水泳部の思い出が高校生活の全てだと話してくれ、私は号泣してしまいました。
あのときの経験がなければ、今の私は存在していません。人間同士が関わるとき、必ず意見の違いや考えの不一致はあります。その現実を見つめて、お互いを理解する努力が必要であり、最後には必ずわかり合えると信じて、今の高校でも生徒たちの言葉に耳を傾けています。
何よりも嬉しいのは、あのとき衝突した生徒の1人が今年の4月から私と同じ教員として教壇に立つことです。まだどこで教員になるのかは不明ですが、場所など関係なく、正面から生徒と向き合える教員になって欲しいと思いますし、私もまだまだ勉強不足ですので、教え子に負けぬよう努めていきます。
須田さん

  • 最後に一言

人生を豊かに生きていくためには、『目標』が必要です。でも、自分1人の力で達成できる『目標』はあまり多くありません。家族や仲間はもちろん、自分に関わる全ての人に支えられていることを忘れないで下さい。そして、周りに支えられていることを素直に感謝できる人ほど、逞しく強いものです。『個人は足し算、チームはかけ算』ですから、支えられているだけでなく、自分が他の誰かの力にもなっています。そんな素晴らしい環境が実践されているダッシュOBであることを誇りに思い、私もダッシュ魂を引き継いで頑張ります。

DASH卒業生

長谷川 潤さん

長谷川潤さん
生まれ:昭和50年 4月 3日
選手コース在籍年数:6年

黒埼中学校
新潟工業高校
新潟理容美容専門学校

聞きたい(選手編)

  • どんな選手でしたか?

水泳は好きで、中学校の時にチームに恵まれ、メドレーリレーで全国大会に行かせてもらいましたが、その他は、これといって個人で優秀な成績を残せるような選手ではありませんでした。
ただ、それでもダッシュに行く事は止めようとしなかったので、とても好きな場所だったんでしょうね。

  • 目標はありましたか?

中学校の時は、全国大会のメドレーリレーでの標準記録を突破する事を目標に取り組んでいました。
ただ、周りの皆より選手コースでの本格的な水泳の練習に入るのが遅かったため、毎日の練習についていける様になることで正直、精一杯だったかもしれません。

  • 選手コースで学んだことは何ですか?

中学校時代は目標をもち達成する事もできたのですが、その時のプレッシャーや燃え尽きてしまった感じからか、高校でも水泳を続けていても、中学校の時の自己ベストすら更新できず、長くて辛いスランプに入ってしまってるような時期が続きました。
そんな中でも、最後の最後、確かダッシュ内での小さな記録会という時に、ほんの少しだけではありますが、自己ベストを更新する事ができました。どんなに辛くても、続けていれば必ず結果はでるんだという事を学びました。
そして、その様な自分でも、選手コースのリーダーという大役を任せて頂き、チームのありがたさや、大切さ、難しさなどを学ばせて頂きました。

聞きたい(職業編)

  • 今の職業を目指そうと思ったきっかけ

(理容師、美容師)
工業高校に行く事で、それに関連した職業も考えたりしたのですが、やはり自分には向かないと感じ、自分の母親が理容室を営んでいたのも見てきていますし、元々自分自身が人に何かをしてあげる事、自分自身で何かを作り上げる事が好きでしたので、母と同じ理容師という道を選び、いつか自分が店を継ぐという夢をもつようになりました。

  • 辛いこと、悩むことは何ですか?

今はとても楽しんで仕事をしていますので、これといって辛いと感じる事はありませんが、常に、進歩していかなければいけない事、そういう気持ちをいつも忘れないで持ち続ける事は難しい事だなとおもいます。
あとは、いろんなタイプのお客様がいらっしゃるので、お客様の気持ちに、つねに寄り添い、でしゃばり過ぎず、離れないでいる事は難しい事ですね。

  • 大きな失敗はありますか?

新人時代に朝寝坊や刃物を使う仕事ゆえに、お客様を傷つけてしまった事などは大きな失敗ですね。

  • その失敗からどのような今に至りますか?

細かい事例はおいといて、大きな意味で気持ちのあり方で言えば、自分のおごりや、思い込みに気づかない事により、信頼や信用を無くしてしまう事があると思うので、いつでもそれには気を付けていたいです。

  • 最後に一言

今の自分の考え方、人との接し方、体力などでの基礎的な部分は、本当にダッシュで過ごした時期に養われた部分が大きく、そして、それが今の自分を凄く助けてくれていると感じてます。
ですので、皆さんも素晴らしい成績が残せれば、なおいいですが、そうではなくても続ける事のすばらしさや難しさが、後の自分の”宝物”と思える様に、ぜひ頑張って下さい。